藤井道人監督が情熱大陸に出演され、話題になっていますね!
その中でも「藤井道人監督が剣道をしていた」という意外な経歴が注目を集めています!
そこで、気になるのは「一体どれほどの腕前なのか!?」ということではないでしょうか。
藤井道人監督は3歳の頃から剣道を始め、18歳まで続けてこられたそうです。
また、高校進学の際には特待生の話も持ちかけられるほどだったとか!
かなり強そうですよね!
剣道の段位はどれぐらいなのかも気になるところですね!
そこで、今回は
- 藤井道人の剣道の成績は?
- 藤井道人の剣道のエピソード
を調べました!
藤井道人の剣道の成績は?
藤井道人監督の剣道の腕前はかなりのものだったようです。
藤井道人さんはお父様が剣道をしたいた影響で、3歳から剣道を始め、18歳まで続けていました。

小・中学校では東京の修道館に在籍し、小学5年生の時に東京都で準優勝したほど!
個人戦で東京都で準優勝を飾るというのはすごいことですよ!
また、団体戦ではずっと先鋒というポジションを担っていたそう。
剣道の先鋒とは、団体戦で1番初めに試合をする選手のことをいいます。
先鋒が勝てば、チームに勢いがついていい方向へと持っていけますが、逆に先鋒が負けてしまうとチームに良くない流れを作ってしまうこともあります。
ですので、団体戦の先鋒はとても重要なポジションなので、実力があり、チームに勢いをつけることのできる選手にしか務まらないのです!
そんな重要なポジションを任されるなんて、藤井道人監督はかなりの剣道の腕前で、なおかつチームからの信頼も強かったと言えます!
藤井道人は剣道で特待生に選ばれていた
藤井道人監督は、高校進学の際に、剣道の腕前が評価されて、たくさんの学校から特待生として声がかかっていました!
特待生として学校側から声がかかるなんて、そうそうあることではないですよね!
きっと、藤井道人監督の剣道の腕前が素晴らしかったので、どの高校も欲しかったに違いありません!
ですが、藤井道人監督は特待生の話を断ってしまったのだとか!
理由は、剣道の強い高校はほとんどが男子校だったからだそうです!笑
「本当にそんな理由で!?」と驚いてしまいますが、思春期には重要な問題なのかもしれませんね、、笑
結局、藤井道人監督は道場の先生の母校である立正高校に進学されました。
高校では、2年生の時に関東大会に出場し、新人戦でベスト4にに入りました!
藤井道人監督は、1年のうち360日は剣道をしているような学生生活を送っていたそうです。
藤井道人が剣道から映画の道に進んだ経緯
剣道で大活躍されていた藤井道人監督ですが、高校生の時に、友達に「今日から卒業するまで、何でもいいから1つのことを毎日欠かさずやろう」と誘われます。
藤井道人監督は家から徒歩2分のところにTSUTAYAがあったそう。
そこで、藤井道人監督は卒業するまで毎日映画を見ると決めて、本当に1日最低1本は映画を見ていたようです。
その影響があってか、高校3年生の時にはすでに映画監督になることを意識するようになります。
そして、大学は日大の芸術学部に進学し、映画サークルに所属します。
映画サークルではひたすら映画を作っていたそうです!
それから大学卒業後すぐに、映画制作会社「BABEL LABEL」を立ち上げてしまいます!
設立当初は大学の仲間を社員として集め、映画サークルの延長線上のような感覚で今まで制作に携わってこられたようです。
高校の時の「映画を毎日みる」という日課が転じて、本当に映画監督になられる藤井監督は素敵ですね!
剣道からはちょっと離れた人生を歩むことになりましたが、「映画制作は剣道の団体戦と似ている」と仰っていて、映画制作に剣道で学んだことが活かされているとインタビューで言っていました。
まとめ
藤井道人監督が情熱大陸に出演され、話題になっています。
驚いたことに、藤井道人監督は剣道の経験者で、3歳から18歳まで剣道をしていました。
気になる剣道の腕前ですが、段位に関する情報はありませんでしたが、小学生の時には東京都で準優勝を、そして高校2年生の時には関東大会で新人戦でベスト4に入るほどの剣豪っぷりでした!
高校進学の際には特待生として、たくさんの高校から声がかかるほどだったそうなので、かなりの腕前だったことが伺えます!
映画監督を意識するようになってからは、剣道の道からは離れてしまいましたが、今でも映画制作は剣道の団体戦と似ていると、剣道で学んだことをお仕事に活かされているようです。
藤井道人監督の今後の作品がますます楽しみですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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