SONY元社長の出井伸之さんの訃報がありました。
SONY出井伸之元社長はかつてサラリーマンとして入社し、一気に社長に上り詰めた経歴を持っています!
しかし、出井伸之さんは意外にも2度も左遷させられた過去も!
左遷といえば、「仕事での失敗」というイメージが強いですが、
「一体どうして左遷させられたの?」と気になりますよね。
そこで、今回は
- SONY出井伸之元社長の経歴
- SONY出井伸之元社長の2度左遷の過去
について見ていきたいと思います!
SONY出井伸之元社長の経歴
SONY出井伸之元社長の経歴は以下の通りです。
- 1960年3月:早稲田大学政治経済学部卒業
- 1960年4月:SONY株式会社外国部入社
- 1962年:スイスのジュネーブに留学する
- 1963年:帰国し、2度に渡ってスイスに赴任する
- 1968年:フランスに赴任し、SONYのフランス設立に従事する
- 1979年:帰国後、音響事業本部オーディオ事業部長に就任する
- 1988年:ホームビデオ事業本部長に就任する
- 1989年:取締役に主任する
- 1994年:常務取締役に就任する
- 1995年4月:代表取締役社長に就任する
- 1999年6月:CEOに就任する
- 2000年6月:会長兼CEOに就任する
というように、1988年に本部長に就任してからは怒涛の勢いで出世コースを歩まれています。
以上の経歴を見る限り、どこにも挫折は見当たらないように見えますが、実は出井伸之元社長は2度も左遷させられた過去があるのです。
次で詳しく見ていきたいと思います!
SONY出井伸之元社長の2度左遷の過去
出井伸之元社長は1回目の左遷をフランスソニー設立後に、そして2回目の左遷を45歳の時に受けます。
出井伸之の1回目の左遷
1回目左遷では、フランスソニーを設立するために出井伸之さんのとった手段が本社の怒りを買って左遷させられます。
当時、まだ30代だった出井伸之さんはソニー・フランスを設立させるために奮闘していました。
フランスは当時学生運動の真っ只中で、日本企業への投資に応じてくれる銀行はありませんでした。
そこで、出井伸之さんはフランスの銀行と金融ディールという手段をとって、なんとかフランス・ソニーの立ち上げに成功します。
しかし、1973年に出井伸之さんがフランスから帰国して本社に戻ると、ロジスティック部門への移動辞令が出され、左遷。
どうやら、金融ディールという手段をとったことが、本社の怒りを買って左遷にあわされたようです。
出井伸之の2回目の左遷
出井伸之さんは45歳の時に2回目の左遷をさせられます。
左遷の理由は、当時大賀典雄社長と言い合いになり、社長の逆鱗に触れたために左遷をさせられます。
当時の出井伸之さんはコンピューター部門の事業部長をした後だったのだとか。
45歳というそう若くもない時に、肩書きも全て失い、与えられたのは机と電話のみでした。
3ヶ月くらいは全く仕事がなく、とても辛かったそうです。
2度目の左遷の時は結婚して、家族もいたでしょうから、奥様や娘さんもとても心配だったでしょうね。
ちなみに、出井伸之さんの家族に関してはこちらで詳しくまとめています。
「出井伸之の妻や娘など家族を調査!自宅や遺産がヤバすぎる!?」
SONY出井伸之元社長のプロフィール
出井伸之さんのプロフィールは以下の通りです。
- 名前:出井伸之(いでいのぶゆき)
- 生年月日:1937年11月22日
- 年齢:84歳
- 出身:東京都世田谷区成城
- 趣味:読書・ゴルフ
- 小学校:成城学園小学校
- 中学校:成城学園中学校
- 高校:早稲田大学高等学院
- 大学:早稲田大学経済学部
まとめ
SONYの出井伸之元社長の訃報がありました。
出井伸之さんの経歴は実は左遷を2回も経験した、波瀾万丈なものでした!
出井伸之さんは過去2回の左遷にも負けずに頑張り続けたからこそ、社長に上り詰められた努力家ですよね!
出井伸之さんのご冥福を慎んで申し上げます。
コメント